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神戸地方裁判所竜野支部 昭和39年(ワ)67号 判決 1967年1月25日

原告 岩野岩市 外五名

被告 森正気

主文

被告は原告岩野岩市に対し金五〇万円、原告岩野照美、同岩野芳一、同岩野とし子、同岩野俊明、同岩野晴子に対し各金二〇万円、及びこれに対する昭和三九年八月七日から各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告岩野岩市において金二〇万円の、原告岩野照美、同岩野芳一、同岩野とし子、同岩野俊明、同岩野晴子において各金七万円の担保を供するときはその原告において仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因を次のとおり述べた。

「一、被告は兵庫県佐用郡佐用町二八三九番地の二において、医院を開業している医師であるところ、昭和三八年一一月七日午前一〇時頃、胸部に痛みを感じその為受診に来た訴外亡岩野キミヱ(大正六年六月三〇日生)の診療に当り、同女より左肺部の圧痛の訴を受け、診察の結果神経痛と診断し、その治療のため注射液ザルビラエス二〇CCにビタミンB二CCを混合したうえ、右手肘部に静脈注射を施し、約一〇CC余注射した後同日午前一〇時一〇分頃右医院において同女を死亡させた。

二、訴外亡岩野キミヱと被告との間には、被告が同女の胸部の痛みの治療をする事務処理を目的とした準委任の契約関係があつたが、被告には患者から依頼された適切な処置をとらず同女を死亡させた債務不履行による損害賠償責任がある。

三、原告岩野岩市は訴外亡キミヱの夫、その余の原告はいずれも同女の子である。訴外亡キミヱの被告に対する慰謝料は諸般の事情を考慮し金一五〇万円が相当で、原告等は相続人として岩市は金五〇万円、その余の原告は各金二〇万円の損害賠償請求権を相続した。

四、仮に被告に債務不履行責任がないとしても、不法行為による損害賠償責任がある。

即ち医師たる者が患者の体内にザルビラエスを注射施用する場合には、患者のうちには体質によつてビリン敏感症の者もあり、シヨツク等の全身症状を惹起するおそれもあるので、患者の既往歴を調べたうえ、極めて少しずつ徐々にその反応を見たりしながら注射し、いやしくもシヨツク死などの結果を惹起することのないようシヨツク死のおそれがないかどうかを充分確めるとともに、そのおそれあると認められるときはその注射をさし控え、あるいは直ちに中止する等の処置をしなければならない業務上の注意義務があるのに、被告は極めて徐々に反応を見つつ注射することを怠り、シヨツク死のおそれがないかどうかの確認も不充分なまま注射した過失により、キミヱを死に至らしめたものである。

五、原告等は遺族として民法第七一一条により被告に対し慰謝料請求権を有する。原告等は同女の不慮の死に遭遇し、筆舌に尽し難い精神的打撃を蒙つたが、当事者双方の社会的地位、職業、資産並びに被害者及び原告らの年令等諸般の事情を考慮し、慰謝料の額は原告岩市については金五〇万円、その余の原告については各金二〇万円をもつて相当であると思料する。

よつて原告等は被告に対し右慰謝料及びこれに対する訴状送達の日の翌日から各完済にいたるまで年五分の割合による損害金の支払を求める。」

被告訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり答えた。

「一、原告等主張請求原因第一項の事実は認める。但し被告は訴外亡キミヱの病状を診察し触診のうえ左乳下に圧痛及び運動時痛を認めたので労働による筋肉痛と診断したが神経痛と診断したことはない。

二、請求原因第二項の事実は否認する。被告は訴外亡キミヱに注射するに当つては最も慎重に万全の方法をとつたもので、同女の死は異状体質によるシヨツク死であつて現在の医学界においては如何ともし難いものである。

三、請求原因第三項の事実中、原告岩市が訴外亡キミヱの夫、その余の原告がいずれも同女の子であることは認めるが、その余の事実は否認する。

四、請求原因第四、五項の事実は否認する。」

(証拠)<省略>

理由

一、原告等主張請求原因第一項の事実については、神経痛と診断したか否の点を除いて当事者間に争いがない。成立に争いない乙第九、一〇号証と被告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる同第一号証及び被告本人尋問の結果を総合すると、被告は訴外亡キミヱの病状を診察し触診によつて左胸部に圧痛を感じ左胸部の筋肉痛と診断したことを認めることができ、他にこれを左右するに足るものはない。

二、次に訴外亡キミヱと被告との間に準委任契約が成立したか否についてであるが、通常病的症状を訴えて医院を訪れる患者と医師との間には、患者において先ず病的症状の医学的解明を求め、これに対する治療方法があるなら治療行為も求める旨の事務処理を目的とした準委任契約の申込みをなし、医師において診察を初める以上は右病的症状の医学的解明という事務処理を目的とした準委任契約の申込を意思の実現により承諾し、続いて患者を他に紹介する等これに対する治療を断らずこれを行う以上は治療行為という事務処理をも引続き行うことを前同様承諾したものと解するのが相当である。本件についてこれをみるに、訴外亡キミヱと被告間に同女の胸部の痛みの医学的解明とこれを治療する事務処理を目的とした準委任契約が成立したものと解せられる。

そうすると訴外亡キミヱの死亡によつて右準委任契約に基く被告の債務は履行不能に終つたものと云わねばならない。

ところて被告は同女の死は異常体質によるシヨツク死で現在の医学界においては如何ともし難いものであると抗争しているのでこの点につき判断する。

成立に争いない甲第二、三号証、第一〇号証、乙第二号証の一、二、第三号証、第四号証の一、二、第五号証、被告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる同第一号証と証人溝井泰彦の証言を総合すると、訴外亡キミヱの死因は薬物注射によるシヨツク死であること、ザルピラエスは普通薬で事前に検査方法が指定されていない注射液であること、この注射液の使用による死亡例は極めて稀で、被告もザルピラエスの注射を月に大体一五〇本ないし二〇〇本していたがその為にシヨツク死をしたのは訴外亡キミヱが初めであること、同女には心臓の肥大及び拡張が軽度に認められ、肝臓に軽度の肪脂変性があり、副腎皮質の機能低下が考えられる点より薬物注射によるシヨツク死をおこし易い体質と云えないこともないこと等の事実を認めることができる。しかしながら一方成立に争いない甲第四号証の一ないし三、第五号証の一、二、第六ないし一〇号証、乙第二号証の一と証人溝井泰彦の証言を総合すると、薬物注射によるシヨツク死といつてもザルピラエスのどの成分が作用して死因となつたかは不明であること、又注射の量や方法がシヨツク死と関係ないとはいえないこと、訴外亡キミヱが異常体質であると確定できないこと、本件ザルピラエスの説明書には静脈注射の場合は極めて徐々に注射すること及びピリン敏感症には注意を必要とすとの注意書があり、患者が極度にアレルギー体質であるとか、スルピリン系薬剤に過敏症である場合にはその使用を避けるべきであること、又心臓や血管等に異常のある者には異常結果を招来する恐れがあること、訴外亡キミヱは昭和二七年頃に肝臓と腎臓を患い生命も危険視されていたこと、被告が本件注射をした三月程前に喘息で被告方に受診に来たことがあること等の事実を認めることができ、前段認定の事実からは未だ必ずしも訴外亡キミヱが異常体質であつたとか同女の死亡が不可抗力に基く等被告側に過失がなかつたことを認めることは困難でこの点被告主張にそう被告本人尋問の結果はたやすく措信できず、他にこれを肯認するに足る証拠はない。

以上これを要するに債務不履行の場合の過失の立証責任は被告側にあると解すべきであるから死因が薬物注射によるシヨツク死であつても医師においてそれが不可抗力に基く等自己に過失がなかつたことを立証し得ない限りその責任を負うものと云わねばならない。

してみると被告は訴外亡キミヱに対し債務不履行による損害賠償責任があるものといえる。

三、次に訴外亡キミヱが被告の債務不履行により蒙つた精神的肉体的苦痛に対する慰藉料は、成立に争いない甲第一号証、第九号証、乙第九、一〇号証及び原告本人尋問の結果によつて認められる訴外亡キミヱの死亡時の年令、職業、健康状態、家族の状況等や、被告の経歴、職業等諸般の事情より金一五〇万円が相当である。そして原告岩市が同女の夫でその余の原告がいずれも同女の子であることは当事者間に争いがないのであるから、同女の死亡により原告岩市は金五〇万円、その余の原告はいずれも金二〇万円ずつの割合で同女の慰藉料請求権を相続したものといえる。

そうすると被告に対する右各慰藉料及びこれに対する訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和三九年八月七日から各完済にいたるまで民事法定利率たる年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告等の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西池季彦)

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